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愛媛温泉~松山編⑤~南道後

ていれぎの湯

最後の道後温泉系、

南道後温泉ていれぎの湯へいってきた(南道後はこの一軒のみ)。

松山市内から車で約20分なのでちょっとしたドライブコースだ。

砥部焼きで有名な砥部町にある。白くまピースで有名な「とべ動物園」へは約3kmという場所にある。

重信川沿いのドライブ

松山インターチェンジ付近から南道後温泉へ向かっての重信(しげのぶ)川沿いの道・・・まさに、trip四国!!田園風景が眼下に広がる。一級河川の広々とした河川敷、目の前には四国カルストの山々・・・その圧倒的な解放感たるや、心が洗われた。

清々しいドライブ気分を味わいながら、南道後温泉ていれぎの湯に到着。

塩サウナもある

水曜日は朝10時まで入場料が半額。入浴料600円→300円(HPを要チェック)。

入口で、塩サウナのための塩をもらう。なんと!マッサージチェアは20分、女性は美顔器も20分使用が無料との案内も。屋外でバーベキューやサウナも施設の横芝生でやっている(要予約)。そんなに大きな施設ではないため、入浴の混雑状況がホームページからチェックできるのはポイント高し。

南道後温泉 ていれぎの湯
南道後温泉 ていれぎの湯

ボディソープ、リンスインシャンプーは備え付けである。必須は化粧落としくらい。

綿棒もある。

エステ気分で・・・

さて、露天風呂は、金泉(源泉→茶色)、銀泉(金泉より薄くまろやか)、樽風呂、歩行風呂の4つ。温度も心地よい(39度か40度くらいか)。そして、うち風呂は少しだけ温度高め、という王道な温度調整にまたしても気分よく。歩行風呂では大股で歩くと腰痛改善になるそうだ。

中には、ジェットバスもあったりして、腰をマッサージ。塩サウナでは頭皮まで塩塗りしたりして(カッコ悪い頭の痒いのがこれで消えるのだ笑、目に入らないように気をつけて)。

水風呂がなんとも清々しい。なぜなら、なんと!石鎚山系の水が使われている。もちろん普通のサウナもある。殆どエステ気分である。

昼頃に入って夜遅くまでポカポカと身体があたたまっていた(ちなみに翌日は少しスタイルが良くなってたよな(笑))。

泉質はナトリウム泉で少し塩辛い。ミネラルが豊富で新陳代謝を活性化するらしい。

筋肉痛、関節痛、こわばり、リウマチ、陽痛、神経痛、胃腸機能低下、軽症高血圧、糖尿病、喘息、鬱などに効果。

杖の淵公園 弘法大師(空海)像
杖の淵公園 弘法大師(空海)像

ていれぎと名水

南道後温泉てきれぎの湯の「ていれぎ」だが、これは松山の方言で和名はオオバタネツケバナという水辺の草のことらしい。薬味として刺身のつま何かに松山では使われていたとのことだが、今では殆ど生息地がなくなって、昭和37年より松山市の天然記念物となっているそうだ。

ていれぎは、弘法大師(空海)が湧水を出したと言われている杖ノ淵(じょうのふち)公園に生息地している。この公園の水は日本名水100選にも選ばれており飲むことができる。ていれぎの湯から車で5分くらい。

(※弘法大師は、西暦800年くらいの人で、香川県出身。中国へ渡り仏教を学ぶ。高野山をはじめ、四国八十八ヶ所のお寺の開祖としてあまりに有名。日本のキリストのごとく数々の奇跡を起こした伝説がある。)

杖ノ淵公園 水路
杖ノ淵公園 水路

名水を飲もう

公園の水でなくとも、弘法大師の水が飲めるスポットを紹介しよう。

公園近くにあるうどん屋の瓢月(ひょうげつ)だ。

お水、うどんを茹でるお湯、出汁、全てに弘法大師の水を使っている。

おすすめお散歩スポット

南道後温泉ていれぎの湯のすぐそばに、看板が立っている。

碧龍乃泉
碧龍乃泉

このすぐそばにある泉は、碧龍乃泉(へきりゅうのいずみ)といって、弘法大師が干ばつで枯れた泉から水を出したという言われがあるそうだ。

そして、二度と枯れることのないよう、美しい碧い龍をこの地に鎮めたという。

暫く歩くと、その名も龍神社という神社がある。まさに鎮守の森という雰囲気だ。

龍神社 入り口
龍神社 入り口

中に入ると、数々の鳥が元気に鳴き、猫が日向ぼっこしている。

裏手には龍神社から碧龍乃泉にむかって、四国の山々に向かって小さな道がのびている。まるで、龍が横たわっているような・・・

龍神社 裏側
龍神社 裏側

道後温泉本館は、アニメ、「千と千尋の神隠し」のモチーフとなったところだ。

確か、「ハク」という龍が開発で自分が祀られていた場所を失った、という下りがあったように思う。

こういう場所を長い月日、脈々と大事にしてきた歴史を思う。この神社や泉が永く守られていきますように、という願いをこめて、賽銭し、お参りした。

そうか。来る時にみた美しい景色、弘法大師が復活させた土地、なるほどそれで重信川沿いの田畑をあれほど美しく感じたのか・・・と思ったのであった。